普通って何?常識って何?はみ出し者のわたしがやらかした話

こんにちは!さきぬまぁです!

わたしははみだし刑事ならぬ、はみだし主婦です。パンティーから毛がはみ出てるとか、そういうんじゃありません。(ふざけてすみません)


(久々登場したと思ったら絵のクオリティ爆発)

普通って、何なんだろう。常識って何なんだろう。当たり前って何なんだろう。

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皆と同じことが出来ない劣等感

「他の人は皆してるんだからね!」

ーー今でも鮮明に覚えている母からの言葉です。

わたしが通っていた小学校では、毎年地区運動会が開催されていました。住んでいる地区ごとに分かれて各種目に参加する運動会です。

その種目の中に、小学校入学前の園児たちが徒競走をするというものがありました。わたしも入学前に強制的に参加させられたのは言うまでもありません。

が、わたくし、それはそれは大泣きをして参加拒否をしました。この頃からすでにはみだし人間的生き方が形成されていたのです・・

「走るなんてくだらない!」的な。(絶対違うだろ)

まぁ、多分単に人前に出るのが嫌いだったんでしょうね。今でもそれは同じです。

母からの言葉

参加拒否したにも関わらず、6歳のわたしは成す術もなく。母に担がれ、母と共に走り抜きました。もはや母の徒競走。

走り終わっても嗚咽の嵐。

皆走ってるんだからね!」ーー母の言葉が頭にこだまする・・。

そう、わたし以外の子たちは皆泣きもせずニコニコ笑って走っていました。完走したらお菓子が貰えるのですが、お菓子に一目散です。

わたしはというと、「菓子なんていらねーよ!」という6歳にしてもう既におませちゃんでした。(違うか)

自分でもなぜあんなに大泣きして、やりたがらなかったのかは分かりません。晴れ舞台的な感じで、他の子たちはすごく喜びながら走っていたのに。

走る意味さえ分からず、無理やり走らされて怒鳴られて・・あの時の記憶と感情は今でもハッキリと覚えています。

母からの謝罪

「あの時はごめんね。別に走らなくてもいいのにね。皆と同じことをする必要はないのにね。」

わたしが中学生になった頃、母があの時のことを謝ってきました。(それくらい強烈な出来事でした)

今なら母の気持ちが分かる気がします。そりゃあ、「するのが当たり前」「皆が通る道」だったから、親の立場からすると焦りますよね。

子どもって、親から言われた何気ない言葉を覚えているものなんですよね。母の言葉の影響力ってホントに大きい。

「皆と同じことが出来ない自分」に劣等感を抱くことが多かったわたし。この時母が認めてくれたおかげで少し救われた気がしました。

素直でいることは生きづらい

そんなわけで、見事にはみだし者として生きていくことになりました。保育園、小学校、中学校、ずっと不登校気味だったし、高校は中退したし(サラッと告白)、学校に行く意味が分かりませんでした。(※中退後に大検を取って大学に入学しました。親に感謝です。)

まぁ、ちゃんと掘り下げれば学校に行く意味はあるんでしょうけどね。

当時のわたしは、何のために生きているのか、何のために学校に行くのか、何のために勉強をするのか、悶々としながら過ごす日々でした。そんな中で15歳で実家を出て、姉と二人暮らしを始めたわけです。

仕事が続かない

社会に出て仕事をする中で「これおかしいんじゃない?」と納得できないと思うことが毎日のように起こります。お局が言うことが絶対であった社内で、全員がAという中でわたしだけBと言ってしまいます

納得出来ないことがあると、黙っていられません。

「素直なのはあんたの良いところだけどね・・・」ーーわたしをよく知る人から言われる言葉です。しかし、この「・・・」の後には『それでは社会ではやっていけないし、甘いんだよ』という言葉が隠れているのではないかと思います。

だって、わたしもそう思いますもの。(笑)

そんなこんなで、わたしは面倒くさい人間として扱われ、はみだし者になることが多いのです。だって、おかしいものはおかしいし、特に女性の集団ってホントくだらないと思うんですよね。

こんなくだらない職場にいるだけで自分までおかしくなりそうだわ!と思って、即辞めてやりました。(←ただ単に居場所が無くなっただけだろ)

こんなわたしでも傍にいてくれる人はいる

「あんたは甘いよ。もっと世渡り上手にならないとやっていけないよ。」ーーまたもや母に言われた破壊力ハンパない言葉です。

それはそれは落ち込みました。

だけど、今のわたしは違うのだ。確かに世の中でやっていくにはうまく立ち回る必要があるんだと思う。

けど、わたし、メンドクセー星人だから。

別に社会でうまくやっていくことが正しいことだと思わないし、世渡り上手になることが幸せなことだとも思わない

人それぞれ幸せの価値観は違うわけだから、どう生きようがそれは本人の自由だと思うのです。

こんな社会不適合なわたしでも、「私らしさ」を認めてくれる人がいます。

「またやらかしたん?」と笑って話を聞いてくれる人たちがいます。「素直に生きられるあんたが羨ましい」と言ってくれる友人もいます。

そんな人たちを大切にしていきたい。

【おわりに】普通とか、常識とか、当たり前とかどうでもいい

最近色々な生き方があるのだと知るようになって、「やりたいようにやればいいんだ」と思うようになりました。

くだらない常識に囚われて自分で自分の首を絞めるのはやめにしたい。

はみだしパンティー最高~!(ちょっと違う)

そんなことを考えていた引きこもりな三連休でした。

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